新宿極道列伝―昇り竜―

1.

「組長!光陵会の奴らと手打ちをするたあ、どういう事ですか!」

 如月竜司、通称「昇り竜」は、自らが所属する木下組の三代目組長、木下源衛門に噛み付いた。

「白虎会のチンピラ共が、翔の兄貴をやった事は間違いねえんだ!皆が一丸となって翔兄貴の敵を討とうって時に、そんな負け犬が尾を振る様な事は出来ねえ!」
「竜!貴様、口の利き方に気を付けろ!」

 若頭の佐藤信二が、気色ばむ。しかし、源衛門は信二を押し留め、口に咥えていた葉巻をクリスタルガラスの灰皿に押し付け、鷹揚な姿勢で口を開いた。

「竜。お前の気持ちはよく解っているつもりだ。しかし、我が木下組と光陵会では力に雲泥の差がある。シマ、組員、資金力、永田町とのパイプ。その全てが、我々を大きく凌駕しているのは、お前もよく知っているだろう。一時の感情に流され、勝ち目の無い勝負を掛けて50年以上続いた組を潰す訳にはいかない」
「しかし!」

 尚も言い募ろうとする竜司に、源衛門は冷酷な口調で告げた。

「いいか、竜。もう1度だけ言う。お前の勝手な行動で組に迷惑を掛ける事は許さん。確かに、翔の奴は我が組きっての武闘派で今まで大いに役立ってくれた。儂も惜しい男を亡くしたと思う。しかし、時代は変わった。今や、極道の世界は金と人脈が全てだ。ドスを振り回したり、チャカをぶっ放して何でも解決しようとするのは、知恵の回らない猿と一緒なんだよ」
「そんな……」

 竜司は、そのまま口を鎖し唇を噛み締めた。彼が18で極道の世界に身を投げ入れてから、まるで実の兄弟の様に目を掛けてくれた兄貴分、黒河翔が光陵会の銃撃を受けて命を落としてから、3ヶ月になる。確かに、翔二は血気盛んな部分が多く、腰の引けた組の幹部を尻目に光陵会に対する対決姿勢を崩さなかった。その結果が、これだ。竜司は、翔が死んだのも組の姿勢が余りにも弱腰だったせいだと考えている。ヤクザとしての尊厳を守り、常に己の信念を曲げなかった翔に、組の幹部は血の気の多い危険人物、何をしでかすか解らない男というレッテルを張り、冷や飯を喰わせ続けてきた。与えられた子分と言えば、竜司とまだ経験の浅いチンピラの2人だけ。その護衛の少なさを狙って、光陵会が攻撃を仕掛けてきたのだ。

「それなのに、組長は翔兄貴の事を猿呼ばわりしやがった…一体、極道ってのは何なんだ。最後の最後まで男を貫き通してこそ、真のヤクザじゃねえのか!」

2.

 その夜、竜司は情婦も美也子がすやすやと寝息を立てるアパートをそっと抜け出し、人気の無い夜道を足早に歩いていた。東の空から湧き出した黒雲に、月は半ば覆い隠されている。

「…明日は、雨になるかも知れねえな」

 そう独りごちた時だった。

「兄貴」

 暗闇の向こうから、くぐもった様な声が聞こえる。

「誰だ!」

 竜司は後方に跳びはね、暗闇の向こうを見透かそうと眼を凝らした。着流しの袂に手を入れ、固い感触を確かめる。

「おっと、ピストルだけは勘弁してくれ。あっしですよ」
「サブ!」

 辺りも憚らず、驚きの声を上げてしまう。竜司と共に翔の下で舎弟として働いていたサブが、見慣れた笑顔を浮かべて立っていたからだ。

「何故、お前がこんな所に……」
「へへっ、何年の付き合いになると思うんです?兄貴が、翔兄ぃの敵を1人で討とうとしてたのはとっくに見抜いてまさあ。昼間の組長とのやり取りを聞いて、今夜辺りひょっとしたらひょっとするぞと思って、先回りしてたって訳です」
「サブ……お前には、隠し事は出来ねえな。いや、俺が余りに馬鹿正直過ぎるって事か」

 思わず苦笑を漏らした竜司に、サブは真剣な顔付きで迫った。

「兄貴。馬鹿はあっしも一緒でさあ。是非、翔兄ぃの弔い合戦に連れて行って下さい!俺だって……俺だって男になりてえ!どんなに苦しい道が待っていようとも、自分が正しいと思った道を変えちゃいけねえ、そう教えてくれたのは翔兄ぃだったんです!」
「だが、サブ……死ぬかも知れねえんだぞ」
「そんな事あ、承知の上でさあ!」

 竜司は、涙が目尻に浮かんで来るのを、抑える事が出来なかった。ここにも、馬鹿がいた。時代遅れで単細胞の、素晴らしい馬鹿が。俺のやろうとしている事は決して間違っちゃいねえ……少なくとも、この空の上で翔兄貴はきっと微笑んでくれている……揺るぎない確信が、竜司の身体を走り抜ける。彼はサブの方へ歩み寄り、肩に手を置いた。

「サブ……」
「へえ、何ですかい?グフッ!」

 突如、サブの身体が2つに折れ、前のめりに崩れ落ちた。膝を付き、そのまま地面に倒れこむ。竜司の強烈な正拳突きが、サブの腹部を捉えたのだ。

「な、何故…」

 己をじっと見下ろしている兄貴分に向かって必死に問い掛けたまま、サブは気を失ってしまう。どこか遠くで、物悲しい犬の遠吠えが聞こえた。

 数分後、如月竜司――「昇り竜」は、光陵会事務所の前に立ち尽くし、空を見上げていた。

「翔兄貴……」

 雲の切れ間から、不意に月明かりが差し込んだ。竜司の右手に握られた長ドスが、月の光に煌く。

「翔兄貴、やっぱりこの戦いは、俺だけでやってやろう思います。サブの気持ちは本当に嬉しいが、まだ若いあいつを危険な目に遭わせたくはねえ。こんな馬鹿は、俺1人で十分です。少し、物足りないかも知れませんが恨まないで下さいよ」

 竜司は、夜空の月に向かって笑い掛けると、正面に向き直り怒声を張り上げる。

「どりゃああああぁぁぁっ!」

 竜司が身にまとう紺絣の着流しの下には、何十本ものダイナマイトがさらしに巻かれていた。たった1人で乗り込んで、勝ち目が無い事は分かっている。彼は、此処で死ぬつもりだった。

3.

「あ、兄貴!」

 数分後、やっと意識を取り戻し光陵会の事務所へと急いでいたサブは、前方から凄まじい火の手が上がっているのを見つけて足を止めた。

「ま、まさか…」

 呆然と立ちすくむ彼の横を、会社帰りのサラリーマンが「火事だ!火事だ!」と叫びながら走り過ぎようとする。サブは、そのサラリーマンの胸倉を掴んで引き寄せ、怒鳴る様に問い質した。

「おい!あの火は何処から起こってるんだ!」
「く、苦しい…こ、光陵会の事務所からです…何か、殴り込みがあったみたいで…」
「何!?」

 サブはサラリーマンを突き飛ばすと、慌てて駆け出した。夜の街は、勢いよく燃え上がる火に照らされ毒々しい赤に染まっている。何処からか聞こえてくるサイレンの音が、余りにも遠く感じられた。

「あ!あれは!」

 サブの向かう方から、一際大きい火柱が上がった。紅蓮の炎は、周囲に火の粉を撒き散らしながら空高く舞い上がっていく。まるで、生命を宿しているかの様に、力強く。

「の、昇り竜…」

 それは、竜司の魂が炎の化身と化し、飛翔する姿に見えた。重苦しい雲に侵されつつあった空は、炎の竜が放つ光によって明るさを取り戻す。夜空を見上げるサブの頬を、涙が伝った。

「兄貴…何でだよ…何で、1人で逝っちまうんだよ…」

 がっくりと跪き、手を地面に付けたまま慟哭するサブの背中を、竜の炎が照らした。


「…これが自己紹介?」
「うん」
「…出てこねえじゃん、お前なんか」
「いや、最後の方にサラリーマンが登場するでしょ、それが俺なんだけど」
「……」
written by kow



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